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チェンマイぶらぶらノート

皆さん、暑いですね、というのもあまりにも陳腐な今日この頃、温暖化を考えれば、こんなのはまだまだ序の口なのかもしれない。

7月末から8月はじめにかけて、上野宗則さんとともに、タイのチェンマイに、うさぶろうさんとその仲間の皆さんを訪ねてきました。日本の「うさと」からも、このMLのメンバーでもある山ちゃんこと、山根さんも合流してくれた。

ホストは、うさぶろうさんと、「USAATO SIAM」のビジネス・パートナーであるソムヨットさん。このソムヨットさんと話してわかったのは、彼が長年携わってきたコミュニティ、ローカル、そしてエコロジーの運動は、ぼくやナマケモノ俱楽部とも縁が深いスラック・シワラック氏やプラチャー氏らの運動と連なるものだということ。(現在ナマケモノ倶楽部が制作中のDVDシリーズ「アジア発未来へのビジョン」の第5作目がスラックさんへのインタビューを中心とするもので、そのための撮影はすでに完了している)

うさとはオーガニック・コットンとか、フェアトレードとかというレッテルを使わない。今回行ってみて、その理由がわかったような気がした。それはまず、「うさと」が単なるビジネスではなく、ムーブメントであること、そしてそれも、オーガニックとか、フェアトレードとかというカテゴリーに限定されないホリスティックなものを志していることがあるのだと思う。しかも、そのムーブメントを現地で主導しているのが、草の根ローカル運動を展開してきたソムヨットさんとその仲間たちだということ。思えば、オーガニックもフェアトレードも、元はたいがい消費者、つまり先進国の側でつくられた概念であり、運動もそちらから始まり、現地を巻き込んでいったもの。これに対して、うさぶろうさんとソムヨットさんのパートナーシップは、意識的に、日本とタイのローカル同士を対等なものとしてつなげて、双方向的なムーブメントをつくり出そうとしてきたのではないか。そんなことを考えさせられた。

うさぶろうさんとソムヨットさんの案内で,コットンの栽培から織物を手がける村を訪ねた。最初がナーダオ村、17人のメンバー(うち男性1名)からなるグループが温かく迎えてくれた。この17人と他の二つの村のそれぞれ10人ずつと合わせた37人が、「千の星」という生産者協同組合を形成している。最初は千というのは大げさな感じがしたが、一人の織り手ごとに、お年寄り5人ほどによる糸紡ぎが必要で、さらに、20種類もの自然染料を扱う染色の仕事も必要だと考えていくと、結局、これはコミュニティにとってはかなり大きな規模の事業なのだということがわかってくる。

田畑はたいがい私有地だ。自分の畑で綿を育てる人もあれば、そういう余裕のない人もいる。ぼくたちが案内してもらった畑は、一人のメンバーの私有地だが、それを「千の星」として借りて、共同で栽培を行っていた。綿はぼくがこれまで見たものより、背が高く、青々として勢いがよいという印象を受けた。近くには他の様々な作物が育っていて、全体として多様性はかなり高い。綿畑の中に混植されたトウモロコシが、綿の中に没しないようにと、背伸びしているように見えて微笑ましかった。

ぼくらを迎えてくれたメンバー全員が、自分で織って仕立てたコットンの服を着ていたのが印象的だった。ぼくの目にはとても優美に見えた。ぼくたちを迎えるための“よそゆき”なのかもしれない。そうだとしても、これはすごいことにちがいない。今日この世界に、自分で着るものを自分でその素材から作るという衣の自給自足が一体どれだけ残っているだろうか。

村を訪ねるのもさることながら、チェンマイ郊外にある、うさぶろうさんたちの住まい兼仕事場の素晴らしさには感銘を受けた。深い緑に包まれ、優しさと穏やかさに満ちたあの場所は,同時に、アーティスティックでクリエティブなエネルギーに満ちた場所でもあった。よい仕事はよい仕事場から生まれるものだと言ったサティシュ・クマールの言葉を思い出した。

「全てのオフィスビルを寺院や神社のようにデザインしたらどうでしょう?美しい門をくぐると、木立ちがあり、池があって,その奥にオフィスがある。働くことが神聖な営みなら、一日に多くの時間を過ごす仕事場は、楽しく、幸せで、プレッシャーもなく、リラックスできる場所であるべきです」
こう言ったサティシュ自身の住まい兼仕事場をイギリスの片田舎に訪れた時にも感動したが、うさぶろうさんたちの拠点は、まさに、サティシュの言う神社や寺院のそれに類いする美とスピリチュアリティに満ちていた。

なんか、だんだん,興奮が高まって,舞い上がりそうなので、この辺で報告は一段落としましょう。

(辻)