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「ゆっくり小学校1期」の感想を頂きました

ゆっくり小学校1期へご参加頂きました、大野晃子さんにご感想を頂きましたのでご紹介させていただきます。

ゆっくり小ではいろんな問いかけが私たちに与えられます。

あのサン・テグジュペリの「星の王子さま」の話を、あるとき、辻先生はしてくれました。
キツネは王子さまに、こういうのです。
「愛とは相手のために時間をムダにすること」だと。

そして「あなたは効率的に愛されたいと思う?」
辻先生はこう私たちに問いかけました。
勿論、私の答えはノー。きっとそう人が圧倒的ではないでしょうか?

でも普通、ムダという響きには、現代社会の呪いがかかっているのではないでしょうか?

目的達成主義、効率、成果主義の中でムダとはもっとも憎むべき相手になっていることに私たちは気づきます。

そんな現代社会を尻目に、ゆっくり小で学ぶのは、私たちはそんな現代社会の中でもっとも忌むべきムダを丁寧に、コツコツと時間をかけてゆっくり徹底的に味わうこと。
そしてそこからおのずと立ち上がってくる深い喜びと幸せを、仲間と共に味わうことこそが、ゆっくり小の極意でしょう。

ムダを味わうことは、本来の私たちの時間を、現代社会の渦のような激流から取り戻すことでもあります。

たとえばゆっくり小では食事の時間をとても大切にします。食事から学ぶことは大切な授業の1コマ。

季節あふれる自然の恵み、生産者さんの愛情と手間を惜しまず作られた食材を丁寧にみんなで料理し、
ゆっくりと沈黙のうちに食べるのです。

沈黙することは、おしゃべり、ということから、しばし解放されること。
そして自由に、ひたすらに共に食べる仲間の存在をしっかりと感じ、そして食べ物をしっかり向かってひたすらに食べる。

時に、箸を使わず、直接、手で、触感や温度を感じながら食べることもあります。

もし、世に言うムダを省くなら、箸を使って素早く、きれいに食べ、ただおしゃべりしながら、役に立つ情報のひとつでも多く取りいれればいいのかもしれません。
午後の予定や、あれこれ心にひっかかっていることを考えて何か解決策がないかと心を走らせていればいいのかもしれません。
そうすれば栄養をとるための食事と日々の間に合わせの解決策らしきものを、同時に得て、時間のムダを省けるかもしれません。

でもそんなことをしながら私たちが食べているものはなんでしょう?

口に入っているものは、滋養のある食べ物ではなく、ただ急ぎ走り回る心ではないでしょうか。

ゆっくり小の食事は、世間で言うムダ、無意味でしょうが、ただただ、それを味わうという、それはシンプルで豊かな、確かな幸せの時間です。

辻校長の底なしの面白い人生の旅で得た深い智恵、素晴らしい世界の賢人との出会いから学んだ智恵、そしてそれらを実践して身につける時間、そして一緒に旅する仲間がゆっくり小にはあります。

そしてユーモアたっぷりにナビゲートしてくれる上野ようむ員さん(なぜようむ員さんなのかはご本人に聞いて下さいね)の語りにも心弾みます。細やかな配慮とセンスに日本人のイキ!な心を学ぶのです。

是非、一人でも多くの方に、このゆっくり小で、私たちの心が本当に喜ぶものに出会ってもらえたらと思います。

かくして、ゆっくり小卒業生の私は、正社員ではなく、パートという働き方をあえて選び、取り戻した時間で、小さな自然農の畑を楽しみ、大袈裟に言うなら?宇宙を感じます。

日々の生活に必要なモノも、できるだけ使い捨てでなく、ずっと愛情を持って使えるものを選びたい。

プラスチックのカゴをワンコインで買うのではなく、ひとつの竹かごを、竹を切り出すところから始めて、竹ひごをコツコツ作りため、一年以上かけて、一生モノのカゴを自分で作るという今の生活。

まさに、偉大なるムダ!

こんな愛しい、かけがえのないムダをこれからも楽します。
こんな生き方をコツコツ続けているのも、ゆっくり小あってだなぁ、と思っています。

大好きなゆっくり小に感謝して。