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「グローバル経済の終わり」に備えて

2017年11月6日、朝日新聞デジタルにて掲載された記事のご紹介です。


 グローバル経済によって引き起こされた危機が広がる中、注目を浴びる「ローカル」への流れ。新しい社会の形を模索する動きが、世界各地で始まっている。11月11、12日に開催される「しあわせの経済」世界フォーラムの呼びかけ人である、明治学院大学国際学部教授の辻信一先生は、「スローライフ」の伝道者として活動しながら、大学では「アンラーニング」を合言葉に、学生たちが普段体験できないようなユニークな取り組みを行い、彼らの力を引き出している。現代社会の問題点とは? 私たちはどこへ向かっていけばよいのか? 考えをうかがった。

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社会が「経済」の中に埋め込まれる時代になった

――しあわせの経済とはどのような考え方でしょうか。「しあわせ」と「経済」という言葉は、結びつきにくい印象があります。

 そのこと自体が、僕が考えている問題を端的に表していると思います。現代の世界は、経済が社会を支配しています。そして経済に支配された社会のもとでは、さまざまなことが犠牲にされる。民主主義や平和、人間性や倫理などです。経済の名のもとに、仕方がないと後回しにされる。それが僕の見る今の社会なんです。さらに深刻なのは、自然環境もどんどん破壊されていること。僕は長く環境活動を行ってきましたが、個別の分野で環境破壊を食い止めることはできません。社会の大転換が必要です。

――そもそも経済とは、何でしょうか。何となくお金に関連すること、という漠然としたイメージで捉えてしまっています。

 経済ってよく語られる割には、何を指しているのかあいまいなんです。カール・ポランニーという経済人類学者の話をご紹介しましょう。彼は「かつてどんな社会も、経済は社会の中に埋め込まれていた」と言いました。どんな社会や文化も、持続的に世代を重ねていく仕組みを持っている。自然界からの富を人間界に取り入れ、そして社会を存続させていく。この仕組みこそが経済だった。それがいつしか、経済が社会から飛び立って自由になってしまった。経済の中に社会が埋め込まれる時代になったんです。

――かつてと現在とでは、経済の指しているものが違う?

 ポランニーの分析によれば、経済には互酬性、再分配、市場交換という3つの要素があります。人は生きていくために必要なものを一人で全部賄うことはできませんよね。支え合い、物をあげたりもらったり融通したりしながら生きてきた。これが互酬性です。家族、親戚付き合い、近所付き合い、それから村。この単位では基本的にお金でものを買うとか、消費者と生産者という関係はなかったんです。みんなお互いに分かち合いながらやっていた。もともとはこの互酬性こそが経済の真ん中にあったはずなんです。

 組織が大きくなっていくと、国家が誕生します。すると富を中心に集めてそれを再分配する仕組みが生まれる。これが二つ目。現在の税の原点ですね。そして三つ目が市場交換です。現在の経済はほとんどがこれです。最初のうち、まだ市場(いちば)だった頃には、そこに実際にものがあり、売る人と買う人の顔が見えた。ところが市場はどんどん抽象的なものになっていきました。昔はお金は商品をやり取りする手段でしたが、いまでは金で金を買う。本来の経済の中の、ほんの一部だけが極大化して、他の部分をどんどんないがしろにしているんです。

――極大化した結果、経済が社会を支配してしまった、と。それはグローバル化とも関係がありますか?

 経済が自由になると、国境をも超えていきます。市場交換のことだけ考えれば、国や税金は邪魔なんです。経済が自由に世界中で活躍する、この自由を信じる主義のことを新自由主義、経済的自由主義と呼びます。グローバリゼーションは経済が自由になっていく最後の段階です。


自分たちの手で、新しい経済を作る

――そのグローバリゼーションも終わりを迎えていると言われています。

 グローバリゼーションの終わりと言っても、すぐには済みません。その期間がどんなことになるのか、まだ誰にも予想できない。でもわからないから何もしないんじゃなく、僕らはやっぱり次の時代の準備をしなきゃいけない。それがいま世界の至るところで始まっている、ローカル経済の流れです。「グローバル」から「ローカル」へ。「豊かさ」から「しあわせ」へ。そのモデルをフォーラムで紹介しようと思っているんです。

――ローカル経済の例を教えていただけますか?

 例えば岐阜県の石徹白(いとしろ)という町は、過疎化で人口が270人まで減りました。ところがこの10年間ぐらい下降が止まったんです。きっかけはある若者が始めた水力発電、ローカルエネルギーの取り組みです。小さな水車から始めて、村の人たちと組合を作り、共同で経営した。今では完全自給を通り越して、必要な電力の倍ぐらいを作るようになっている。並行して食の自給も進みました。打ち捨てられていたような農地に若者たちが入って、地元の人たちと有機農業を展開しました。いまではちょっとしたブランドになっています。これはほんの一例で、世界各地で、自分たちの手で新しい経済を作ろうという動きが活発になっています。スローライフ、地産地消、里山資本主義、半農半X、そういったキーワードで若者たちが動いている。彼らは経済学者でもなんでもないです。自分の人生の設計があって、そうした暮らしを選択し、やっているんです。


小さなことしかできない自分を、責めない

――一方で、「そうは言っても現実的には……」と言い続ける人たちもいます。会社を辞めて田舎暮らしを始めるのはハードルが高いなと思ってしまう。先生は100万人のキャンドル・ナイトなどの運動も提唱してこられましたが、そうした小さな一歩を始めるだけでも、変化は起こりますか。

 小さなことでもいいんじゃなくて、小さいことしかできないんです。大きい小さいっていうのも、量の発想でしょう? 世界は計量可能なものでできているという考え方。でも、大きいことをする人が立派で小さいことをする人は大したことないなんて、誰もそんなことは証明していません。会社を辞めて田舎で暮らす、そういうことがさっそうとできる人たちもいるし、できない人もいます。いろんな事情がありますから。でもその時に小さなことしかできない自分を責めないことですね。どんな小さなことでも、できるっていうのは素晴らしいことです。

――まず何から始めてみたらいいでしょうか。アドバイスはありますか。

 まずは呼吸してみることです。雑踏の中で、ちょっと立ち止まって空を見上げて、自分の呼吸に意識を向けてみる。これはつまり、自分が生きていることを思い出す、ということなんですね。自分は機械でもないし経済の奴隷でもない、自由な意思を持った人間だという事実をただ思い出す。とはいえ、そこで家に戻るわけにはいかないから会社に行くわけですが(笑)、でもそれだけで一日が違ってくると思いますよ。

 僕らも自然界の一部、生き物です。だから自然界を壊しちゃうような経済、怪物化した経済の物語にどっぷり漬かって、平気でいられるはずがない。その証拠に多くの人たちが心を病んだり体を病んだりしていますよね。あるところで、よし一歩踏み出そうというときが誰にでも来る。いまこそその時なんじゃないかな。決定的な時代に人類はいま差しかかっていると思います。


「アンラーニング」を合言葉に

――大学で教鞭(きょうべん)を執られて26年目になります。どんな思いで携わってこられたのでしょうか。

 合言葉にしている言葉があるんです。それは、アンラーニング(unlearning)。一見、ラーニング(学ぶ learning)の反対に見え、日本語には訳しにくいんだけど、こんがらがって行き詰まっている学びを一度ほぐし、ほどくようなイメージ。いい言葉なんです。僕は今の日本の学校教育の在り方というのに大きな疑問を持っています。試験制度も含めてね。小さいときから試験、試験、テスト、テストって詰め込み型の教育。詰め込まれたものにとらわれていると、本当の意味でのラーニングは起こらないんですよね。アンラーニングで、学んできたものを一度ほどいて、改めて問いを発することのできる人になってほしい。問いへの答えなんかそう簡単にはないから、一生かけてその問いと向き合いながら、知的に成長していくわけです。

――先生のゼミではどんなことを?

 僕のゼミはね、必ず田んぼで農作業をやるんです。ちっちゃな田んぼですけど、自然農でもち米を育てています。収穫したら最後はいつも餅つきをします。それがいったい何になるか? そんなことはわからないですよ(笑)。すごく反応する子もいるし、10年20年経ってから、「先生、最近あの意味がやっとわかりました」っていう子もいる。でもこれって僕らが生きてることの基本でしょ。食べるものを自分で作ろうっていう、人間として当たり前のこと。

 あとは校外実習という授業があって、普通のツアーではなかなか行けないところに連れていこうと思ってます。アマゾンにも行ったし、カナダの先住民の島だとか、ブータン、ラダック、タイの山奥にも行きました。一緒に歩いたり、人と話したりして、そこから何かをつかんでもらう。世界にはいくらでもおもしろい物語がある。異質なものに触れること、これもアンラーニングの絶好の機会です。みんな学生は一人ひとりすばらしいものを秘めています。なんでもあるんですよ、一人ひとりの中に。でも残念ながら今の社会は、何もないかのように思い込ませてしまう。一人ひとりが空っぽの容器でその中にどれだけ詰め込めるか、そういう競争をしている。何にも詰め込む必要なんてないんです。すべてあるんだから。それを引き出してあげればいい。エデュケーション(教育)の語源は、「引き出す」なんですから。その意味で僕は、明治学院大学が大好きなんです。本当の意味での教育への姿勢が、この大学にはまだまだ生きていると信じられるから。


ローカリゼーションを目指す人が出会えるフォーラム

――最後に、フォーラムについてご紹介いただけますか。

 しあわせの経済、その仕組みと実践を学ぶ2日間です。僕の友人で、環境活動家として名高いヘレナ・ノーバーグ=ホッジ、彼女を中心に世界中で行われてきたイベントですが、初めて日本に招聘するということで、アジアを中心に世界各地からそうそうたる方々をお迎えしました。さまざまな場所でローカリゼーションを目指している人たちが出会って、横に繋がっていく場所にしたいと考えています。ローカルな営みって、孤立感があるんですね。巨大なグローバリゼーションの物語を前にして、自分がやっていることは取るに足らないことなんじゃないかと思ってしまう。でもいま、先進国も途上国も変わりなく同じレベルの運動が世界中すごい勢いで起こっているんです。誰かがどこかに集まって相談して始めたんじゃないんですよ。このことの意味を11月のフォーラムで僕たちはつかみたいと思っています。

(文/高橋有紀)