サティシュ・クマール ≫ Resurgence


ローカルの時代へ大きく踏み出そう
サティシュ・クマール


 危機は同時に好機でもあります。イギリスのブレグジット(EU離脱)やアメリカのトランプ政権誕生なども、見方によっては、ナショナリズムの意味を改めて考える絶好の機会なのです。
 ブレグジット派は、「英国に力を取り戻せ」とか、「自治権を回復せよ」とかと主張します。同様にトランプ大統領も、「アメリカ・ファースト」、そして「再びアメリカを偉大に」と唱えます。これらはスローガンですが、人生とはスローガンで表現できるほど単純なものではありません。
 その一方、ブレグジット派は、EU(欧州連合)から離れたいと考え、しかし同時に、グローバル化を推進したいと考える。そして、ニュージーランドやオーストラリア、そしてアジア、アフリカ、南北アメリカとの貿易を求めます。勿論、そのためには世界中をモノやサービスで運ぶのに必要な相当量の交通が必要です。その上、ビジネス界のリーダーたちを大陸から大陸へと移動させるのにも化石燃料が要る。こうした貿易に関わる一切が環境に与える影響の大きさは? そして気候変動への影響は・・・?
 こう問う必要もあります。一体誰が、こうしたグローバル貿易で利益を得るのか? 答えは、そのグローバル貿易を進めるプレイヤーたち、すなわち、多国籍大企業です。富む者はますます富み、貧乏人は貧乏なまま。例えばブレグジット派はこれまでとは違う新しいグローバル化を唱えますが、他国の低賃金労働への依存、自国の失業の増大、環境汚染、資源の枯渇といった深刻な状況を、彼らに変えることができるかと言えば、答えは否です。
 要するに、偏狭なナショナリズムと金儲けのためのグローバリズムの結婚から生まれるのは、不平等、不安定、そして不幸せでしかない、ということです。
 今こそ、新しいブレグジット思想の出番です。それは、人々が自分たち自身の手で人生、経済、コミュニティ、文化、そして環境を守り、治める。これこそが真のブレグジットというものでしょう。それは偏狭なナショナリズムではなく、賢明なるローカリズムです。
 EUから取り戻すはずの権力を、グローバル・ビジネスのリーダーたちに差し出すのは正解でしょうか。いや、それはブリュッセルから取り上げたものを、東京、ワシントン、デリー、シドニーに配ること―—フライパンの上が熱いからといって火の中に飛び込むようなものです。
 自治の権利をブリュッルからロンドンに戻すだけでは不十分です。それはさらにリバプールへ、リーズへ、ランカスターへ、そしてすべての都市へ、町へ、郡へ、村へ、と移動させなければなりません。
 ローカリズムとは地域の経済を力づけ、地域特有の文化や地域らしさを大切にし、応援することです。“ローカル”の旗印の下、芸術、工芸、一般市民の創造性を讃えるのです。経済や商業にも役割はありますが、分をわきまえてもらい、人々の暮らしを左右するようなことを許してはなりません。経済や商取引や消費がすべてだと思わされてはいけません。人生とは、それらをはるかに越える豊かなもの――コミュニティ、文化、美、持続性、ものを作る手、そして仕事などの総体です。私たちは単なる消費者などではなく、作る者であり、創造する者なのです。
 EU離脱後の英国のあるべき姿を私なりに描いてみましょう。それは、自分たちが食べる安全で栄養のある食料を自給し、自分たちが住む美しい家を建て、日常生活に必要な物を製造し、芸術を、工芸を、そして市民の創造性を大切にし、科学と技術を賢く使う、そんな自立した国としての英国です。国のモノとサービスのうち、大体60%ほどがローカル、つまり地産地消であるべきでしょう。そして25%くらいが国産で、グローバルな外国算は15%で十分です。こうしたバランスのとり方ができた時にこそ、「自立」と言う言葉が使えるのです。
 ローカリズム(地域主義)とインターナショナリズム(国際主義)は矛盾しないばかりか、相互に補完し合う関係です。これが、“Think globally, act locally”(グローバルに考え、ローカルに行動する)ということの本当の意味です。ごグローバルとローカルをくっつけて“グローカリズム”と呼ぶこともできるでしょう。でもそれは、排外主義とも、優越思想とも無縁です。偏狭なナショナリズムは「小さな心と大きなエゴ」の産物。一方、グローカリズムは「大きな心と小さなエゴ」の表現です。
 我ら“グローカリスト”はすべての文化、すべての国、すべての人種、すべての信仰を尊敬し、尊重します。相互性と互酬性は我らのマントラ(聖句)。思想、アート、音楽、詩、踊り、演劇、科学、哲学などの国際的な交流は不可欠です。
 インドの人々がクリケットに夢中なのも、逆に英国人がヨガにいそしむのもよいことです。ピーター・ブルックがインドの叙事詩マハバラータをプロデュースしてヨーロッパで上演するのも、インド人や日本人がシェークスピア劇を楽しむのも、素晴らしいことです。
 マハトマ・ガンディーは経済と政治の地方分権を語りました。地方分権のためにはローカリズムが必要です。E. F. シューマッハーは経済を“人間らしいスケール”にとどめるべきだと説きました。これら先人の知恵をもう一度思い起こすのに、ブレグジットがよい機会を与えてくれた、と考えてはどうでしょう。そして、社会的に公正で、自然環境も持続可能で、精神的にも満足を与えてくれるような新しい経済を創るのです。この経済とは、人間の想像力、創造性、自立性、霊性に根差すものとなるでしょう。
 ローカル経済の目的はすべての個人にとっての、そして社会にとっての幸せ(ウェルビーイング)をもたらすこと。一方、グローバル経済の目的はと言えば、社会的結束、健全な自然環境、人間的な想像力を犠牲にしてまで、世界のたった1%の人たちに最大限の金銭的利益をもたらすことです。
 さて、英国政府がEUとブレグジットの進め方について交渉するために与えられたこれからの二年間を、好機の“窓”としなければなりません。この機会をつかんで、私たちは草の根ムーブメントを育て、ポスト・ブレグジットの新しいイギリスをつくり出すのです。
 失望している場合ではありません。悲観している時ではありません。悲観主義者は行動しません。楽観主義こそが運動の原動力です。自信と勇気をもつのです。希望をもって進むのです。ヴァーツラフ・ハヴェル(チェコスロヴァキア民主化運動のリーダー、元チェコ大統領)は言いました。
「希望とは・・・何かがうまくいくという確信ではなく、うまくいくかどうかに関わりなく、間違いなくこれが道理だと思えること」
 ブレグジットは行動へのシグナルでもあります。アメリカの詩人クラリッサ・ピンコラ・エステスの言葉が私たちに大事なことを思い出させてくれます。
「港につながれている偉大な船。それが安全であることに疑いはない。でも、偉大な船はそのために建造されたわけじゃない」
 偉大な船は大海へ出て、嵐をも乗り越えて航海を続けます。私たちもそう、ブレグジットやトランプといった嵐にも負けずに、航海を続けるでしょう。今この時こそ、我ら環境派、地方分権派、ローカリスト、アーティスト、企業家、運動家にとっての好機です。あとは、その好機を自分の手でつかむかどうか、だけです。