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「でも、小さいことがいつも素晴らしいとは限らない」という異議があっても当然です。では、シューマッハーはどんなつもりで「スモール・イズ・ビューティフル」と言ったのか?

1971年の講演で彼は現代技術文明を痛烈に批判しました。人間がつくったはずの技術は、独自の法則をもって発展し、人間にも統制できなくなってしまっ
た。その結果、この現代世界は短期間のうちに、社会の非人間化、環境破壊、資源枯渇という3つの深刻な危機に見舞われた。

彼によれば、技術は「より大きく、より多く、より遠く」という一方向に向かって発展する。その技術が支配的になった社会は、だから、大きすぎる、多すぎる、速すぎる、という3つの「すぎる」に代表される「過剰」な社会になる、と。

技術には自らを制御する原理がない。これと対照的なのが自然界で、それは成長をいつどこで止めるかを心得ている。「成長は神秘に満ちているが、それ以上に神秘的なのは、成長がおのずと止まることである」

その結果、自然界のすべてのものには大きさに限度があり、だからこそバランスがとれて、「すぎる」ことがないのだとシューマッハーは考えたのです。

「技術を人間の真の必要物に立ち返らせる」。それが「人間の背丈」に合った、人間的な社会への道だ、と。

要はバランスなのです。人間もまた自然界の一部なのだから、全体のバランスを損なわぬように、人間にふさわしい規模—人間らしい「小ささ」の中に自らを収める必要があるのです。

なぜ人間らしい「大きさ」と言わず「小ささ」と言うのかって? それは節度をわきまえるためです。特に経済成長が宗教のように信仰される今だからこそ。

何事にもそれにふさわしい規模がある。その適正な「小ささ」を決定する要素として、シューマッハーが挙げたもう1つのキーワードは「TLC」です。「テンダー・ラヴィング・ケア」の頭文字でできたこの言葉の意味は、“優しい心づかい”。

誰にも備わっている優しさは、小さな場でこそ発揮される。逆に、適正な規模とは、TLCが可能なスケールだとも言えるでしょう。

人間相互の関係だけではありません。人間と自然との、人間と地域との親密な関係も同じことです。

日本語では「臆病」を意味する「小心」が、中国語では「心配り」を意味する。TLCにも通じる言葉です。

教育におけるTLCの大切さは言うまでもありません。だからやっぱり、学校もクラスも小さくなくちゃ、ね。そんな〈小〉学校で、TLCに溢れた、スモールな経済や政治を編み出そうではありませんか。

2014年 婦人之友 4月号掲載